町長日記 年7月29日(自民党一宮支部の研修会と新地の諏訪神社例祭訪問)

    本日は、予定されていた保育園合同の地曳網大会は、台風が南方海上にいるために海が荒れて、中止になってしまいました。実は、丸川珠代五輪大臣とそのご友人の皆様が、個人の資格で、地曳網に参加される予定だったのですが、それも残念ながらできなくなってしまいました。ただ、大臣とご家族・ご友人は、荒れた一宮の海を眺めながら、これほど荒れた海は見たことがない、とのことで、その荒々しさにただただ驚嘆しておられました。実際波は大変高く、パイプラインも沢山できていましたが、荒れすぎで、一帯にはサーファーの姿も全くありませんでした。

 当日お昼には、自民党一宮支部の研修会が地引小屋で開かれましたので、丸川大臣はこちらの会合にご参加になられました。この会合には、森英介代議士、石井準一参議院議員、酒井茂英県会議員も見えておられました。

    研修会ののち、丸川大臣は、釣ヶ崎海岸も視察なさいました。釣ヶ崎でも、海は大荒れで、誰も海に入っていませんでした。一方、太東の海岸にはサーファーがいて、なるほど突堤のために波が若干弱まるのだ、と納得しました。わたくしは、オリンピックの設営のことと併せて、鳥居を仰ぎながら、玉前神社の玉依姫上陸の伝説、そして十二社祭りにおける近隣に散らばった眷属の集合、汐ふみから鳥居をくぐっての集結と帰還、といった、お祭りと神社の説明を差し上げました。そのあとでふと気が付いたのですが、大臣はお名前を「珠代」とおっしゃるので、玉依姫に通ずるお名前の方だったわけです。偶然ながら、この御縁で一宮に一層のご加勢を頂ければ、大変嬉しい限りです。

    夜は、新地の諏訪神社のお祭りの宵宮に出かけました。伺うと、丁度のぼりを立てる作業をしておられるところでした。ただ、新地では、高いのぼりを立てたり倒したりするのが大変なので、今は旗竿を横にしてのぼりをつける、ということでした。諏訪様の境内には紙細工が飾られており、夕方で点灯されると、大変幻想的なムードになって、素敵でありました。一松神社、芥川荘、赤七屋、二階建ての料理屋、ポンポン船の細工物が並んでいました。今、新しい細工物を製作中だが、もう少し時間がかかる、とのお話しでした。この紙細工は、暫く伝承が途絶えていたのを、NPO法人さすが一宮が補助金をもらって再興したということです。若い方が製作に加わっていなくて心配だ、ということなので、それを改善するために町も努力をしたいと考えています。

    社殿で宵宮の会合が開かれました。社殿内での集まりは、大村の八坂神社でも参加させて頂きましたが、大変趣があって、素敵なものです。ふつうの場所とは違って、地域の長い伝統を感じるひとときでした。役員の木島さんのお話しでは、お祭りはもと、お盆より後に行われたもので、紙細工は、もともと精霊船の意味をもつものだったのだそうです。なるほど、紙での細工物で、亡魂を送るという風習は東アジアに広くみられます。諏訪様の伝承も、そうした流れを汲むものだということがわかって、納得致しました。