町長日記 8月1日(文部科学副大臣、兼内閣府副大臣来訪と行政相談委員地区会議出席)

   今日から8月になりました。朝礼では、オリンピックを控えて、ポジションの高い方々が陸続と本町を来訪されるようになっているので、職員の諸君も自覚を高めて職務に励んでほしい、と話しました。

 午前中に、水落敏栄文部科学副大臣、兼内閣府副大臣が一宮町に見えました。文部科学省ではスポーツ、内閣府ではオリンピックを担当なさっておいで、釣ヶ崎の視察に来られました。千葉県庁からは、副大臣視察ということで、高橋副知事もお見えになりました。役場で、千葉県、組織委員会、一宮町のスタッフと意見交換を行ったあと、釣ヶ崎に移動して現地を視察されました。

 水落副大臣は、一宮駅を含めて、輸送面での整備が重要だということを強調しておられました。わたくしどもとしては、大変心強いものがありました。

 水落副大臣は、新潟の御出身で、新潟選挙区選出の参議院議員ですが、実は、今のお住まいは長生村の海の近くにあるのだそうです。前は自宅二階から海が臨めたけれど、今は津波除けの護岸かさ上げが行われたので、見えなくなってしまった、と仰っておられました。われわれ一宮町の近くにお宅を構えていらっしゃる方なので、今後とも、お力添えを期待させて頂きたいと思います。

 午後は、行政相談委員地区会議が開かれ、公民館大会議室で歓迎の挨拶を差し上げました。山武・長生・夷隅管内の各市町村から、行政相談委員の方々と役場職員の皆さんがお集まりでした。会場である一宮町公民館が、近隣市町村に比して貧弱なので、その状況に対して、あいさつの中で私見を述べさせて頂きました。正確かどうかわかりませんが、ひとつの要因ではないかとこの頃思っていることです。

 それは、一宮町では、江戸時代からこのかた、有力者の間でのプライベートの回路における文化活動が活発であったため、かえって、公的機関による住民の文化活動支援が必要だという感覚が芽生えるのが遅かったのではないか、現在の社会教育施設の貧弱な状況には、それも関わっているのではないか、というものです。

 昨日伺った稲花さんには、近代に一宮を訪れた名士の書画作品などがさまざまに残されているそうです。稲花さんのお宅は、「稲露庵」の雅称を有し、まさしく一宮に見えた政・官・財・軍・学の各界の名士の集う場所だったのです。稲花さん以外にも、町内にお住いの方々のお宅には、加納公の墨跡をはじめ、さまざまな有名人の交遊の記録ともいうべきものが、たくさん残っています。かくいう私の住まいは、昭和10年前後に加納家家老の家柄であった堀内利器氏が建てた別邸ですが、二階の座敷の欄間に、平沼騏一郎元首相の揮毫された「敬立内直(敬立てば内直し」」という扁額がかかっています。これは、『周易』の文言伝という部分に出てくる、「敬以直内、義以方外(敬以て内を直くし、義以て外を方にす)」という文言を踏まえたものです。「心に畏敬の思いが確立すれば、内面はまっすぐになる」という意味です。この扁額について由来は存じませんが、戦後、平沼氏はA級戦犯として獄中にあったということですので、戦前からあったものだと思います。大東文化大学には、「敬立而内直」の書が蔵されているそうですが、ネットで見ると、ほかにも平沼氏はこの文言に関する墨跡をいくつも残していることから、この言葉が気に入っていたのでしょう。

 いずれにせよ、私は、こうした名家・名士間のプライベートな回路でのサロン的な交流が盛んであったことが、かえって行政による民間の文化活動支援の必要性を感じさせないという、逆説的な結果を産んだのではないかと思うのです。もちろん、一宮には、一宮川の水害の対策などが常にのしかかっており、そうしたことが文教予算を圧迫したことも考えられるでしょう。また、政争が激しく、政権交代のたびに方針が変わったといわれることも関係しているでしょう。しかし、わたくしは、恐らくこの要素が、そのひとつとして、考えられるのではないかと思うのです。

 それはともかく、現在では、一宮町の公的文教施設が遅れをとっていることは誰の目にも明らかですので、今後近隣市町村に伍してゆけるものを考えてゆかなければならないことは明らかです。わたくしは、県内各地よりおいでの皆様に、そういうことをお話ししたあと、伝統と現代、海と山、農業とサーフィン、といった対照的なものがつまっている一宮町の味わいの一端を感じて頂ければと思って、ガイドブック「るるぶ」を配布させて頂き、町内を一見することをお勧めいたしました。