町長日記2018年7月24日(オリンピック2年前イベントに出席と景観まちづくり出前講座に出席)

    今日は、「オリンピック2年前イベント」が、釣ヶ崎海岸で開かれました。千葉県が中心になって企画された催しで、電通が請け負ったものです。一宮町は、業務の一部をお手伝いした形でした。
 森田知事が、成田で行われる行事にも参加されるということで、朝7時半からという早い設定になりました。森田知事・元オリンピック水泳選手の伊藤華英さん・俳優の宍戸開さん・酒井厚志NSA理事長とともにステージに上りました。
皆さんの挨拶のあと、一宮保育所の園児のみなさんが、五月にまいた種から育って開花したひまわりの花かごを、知事とわたくしにわたしてくれるセレモニーがありました。この花かごは、いちのみや保育所の小安所長と、会計課の鶴岡課長との合作だそうで、大変きれいにできておりました。
 セレモニーに続いて、トークセッションがありました。サーフィン日本代表強化選手の5人の若い方と、宍戸開さん、そして司会の方で、随分つっこんだ話が展開しました。目標にしている選手はいますか、という質問には、みなさんそれぞれの答えを示しておられました。宍戸さんも司会の方も挙げられた方々(海外選手ばかりでした)をよくご存じで、リアクションが的確で盛り上がる展開となりました。なお、セッションに参加された日本代表強化選手中に、野中美波選手と中塩佳那選手、二人の一宮町民がおられたことは、嬉しいことでした。
 その後、5人が海に入ってデモンストレーションをしてくれました。波は結構あり、条件的には、そこそこキレのある演技を見せて頂ける状況であったかと思います。ただ、霧が出ていて、海岸からは直接よくみえなかったのは、残念でした。
 そのあとは、東浪見の祭りの神楽保存会の皆さんの演奏、プリモーイシアターオブダンサーズのダンス、そして一宮商業高校の有志による東京五輪音頭の踊りの披露といったメニューで進行し、最後に②という人文字を書いて終了となりました。②は、あと2年という意味なのでしょう。
 晴れていたら、大変暑くて困ると思っていましたが、幸い、曇っており、熱中症にはなりにくい天候であったので、ありがたかったです。ただ、上にも記したとおり、霧が出ていて海がよく見えなかったところは、残念でした。
 あとで町の方から伺ったところでは、お昼や夜のニュースでテレビ報道されていたそうです。まずは、事故もなくスムーズに展開したことは、よかったと存じます。
 ただ、事後、ある方から、もっと町内の皆さんをまきこむようにすべきだ、とのご意見を頂きました。確かに、釣区の役員の皆様をはじめ、商工会・農協・民生委員・教育委員会・体育協会・婦人会など、各種団体の皆様にも、会場にお運び頂く手立てを考えなければならないと思います。もちろん、一般の方々にももっとお越し頂かなくてはならないこと、いうまでもありません。今回は、HP、回覧板、新聞広告、ラジオなど、各種回路でお知らせを差し上げました。ただ、確かに当日の朝、会場にお越し頂いた町の方々の人数はそれほどでもありませんでした。次回以降のオリンピック関係のイベントについては、更に町の皆様に広く関心をお持ちいただけるよう、周知徹底に心がけたいと思います。
 
 午後、千葉県の公園緑地課の皆さんによる、「一宮町 景観まちづくり出前講座」がありました。町からは、都市環境課を中心に、各課から中堅の職員諸君と、町長・副町長・教育長の三役が出席しました。一宮町が景観行政団体へ移行し、規制の効力をもつ景観計画の作成まで進むことを期待して、県の主催で開かれたものです。
 景観は、町の魅力を高めるための、もっとも重要な要素のひとつです。ヨーロッパ諸国では、都市住民の古代・中世以来の自治意識の強さと相まって、景観についても、コミュニティーにおける自主的なルールが構成され、行政もそれを前提として行動するスタイルが確立し、今日に至っています。そうした景観についての住民の意識の高さは、たとえばポーランドで、第二次大戦で灰燼に帰したワルシャワはじめ諸都市の戦後復興を行うとき、戦争前の写真に沿って忠実に再建したということにも表れています。子供のころ、スイスの都市で、アパートの窓の外に、ゼラニウムなどの鮮やかな花が飾ってある写真をみたとき、父が、「スイスでは、町の住民には、窓に花を飾らなくてはいけないルールがあるそうだ」と語っていたことを覚えています。これも景観を統一するために作ったルールなのです。
 翻って日本では、江戸時代には、景観は当時の武家政府によって強力に管理されていました。当時は身分社会でしたので、景観は、特に住宅関連は、すべて身分制を反映したものに統一されていたのです。家の大きさ、特に間口や階数、屋根の葺き方など、身分によって厳しい制限があったわけです。居住区も身分によって分かれていましたので、結果として、日本の景観は、江戸時代、相当に整然として美しくそろったものになりました。
 しかし、それは権力による上からの一方的統制による景観形成です。そこに下からのモメントはありません。そこで、近代以降、特に第二次大戦の敗戦後、個人の幸福追求の自由が、日本の法制度の根幹をなす大原則となってから、景観について、上からの統制に代わるコントロールの手法は、模索されることさえ少なかったと思います。結果として、多くの市街地は、各オーナーそれぞれの勝手な建築・建設の思惑に任され、整然とした美しさを失って、各種要素が雑然と混在する、醜い景観となりはてました。
 こうした中で、わたくしどもが、今後もし良好な景観構成を確保したいのであれば、必要なのは、住民と行政が協議を重ねることを通じて、景観について、誘導効果・規制効果をもつ枠組みをつくり、実施してゆくことです。一宮町に即していえば、玉前神社周辺市街地、農村の集落、海岸通りのモダンな市街地が並立していますが、こうした各地区で、それぞれに、住民と行政で、景観の維持・増進のためのプランをつくり、実際に誘導してより統一的な景観を作ってゆくことが必要だと思います。
 もちろん、住民と行政で協議を重ね、合意まで達するのは、なかなか難しいことでしょうし、それの実効性を確保してゆくのも、簡単なことではないでしょう。しかし、このプロセスを踏むことでしか、これからの日本で美しい景観を維持・増進してゆくことはできないと思います。
 一方で中国では、行政が巨大な力をもっており、景観についていえば、命令一下、すべての建物が統一された様式に改築・改装されることも珍しくありません。かつて、1980年代に、北京の有名な古書店街「瑠璃廠」は、必ずしも美しい伝統中国様式の店ばかりではありませんでした。共産党の支配が始まってからの殺風景な建物も多く交じっておりました。しかし、数十年後、2015年の夏に訪れたときは、すべての建築が清朝以来の古典的北京の店舗様式になっており、美しい街並みに変わっていました。また、西湖の風景で有名な浙江省杭州は、わたくしが1980年代に訪れた時には、普通のコンクリート造りのアパートなどがいっぱいありました。ところが2005年ごろに訪問した時には、それらは撤去されて、伝統的江南建築の風趣を帯びたものに統一されていました。このときは、わたくしはかつてより美しく変貌していた杭州の景観に、深く驚きを感じたものです。
 こうした、上からの力による一括での景観整備は、観光などで人を呼ぶには、最も手っ取り早い方法です。しかし、それが許されるのは権威主義的体制下だけです。民衆の意思が政治に反映される可能性がほぼ無く、政治機関が一方的に権力を行使できる場合だけということです。民主主義の日本では、それはできません。あくまで民間と行政との協議を通じての形でしか、ルールが設定できません。
   今日の、出前講座が、町が今後そちらへむけて進んでゆくための大きなきっかけになれば、と願います。