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一宮ゆかりの人 トーマス・ベイテ

 

一宮ゆかりの人 トーマス・ベイテ

対象から昭和にかけて,日本政府の外交顧問として大きな功績のあった一人の英国人が,その晩年を追手の地に過ごしていたことも,すでに遠い日々のこととなってしまった。

その人,トーマス・ベイテは1869(明治2)年2月8日イギリスのカンパラント州スタンウォックスに生まれた。オックスフォード・ケンブリッジ両大学で法律を専攻して法律学博士号を授与されている。

大正5年,日本政府の法律顧問として招かれて来日,昭和29年2月9日一宮町追手の加納久朗氏別邸で,著書「日本のあけぼの」の原稿を書き終わって病に倒れ,そのまま不帰の客となってしまった。その間に37年余にわたって,日本の外交上に尽くされた功績は大なるもので,昭和11年には,勲二等に叙せられている。

太平洋戦争中は日光へ疎開していたが,終戦後占領軍の圧力で日光の邸宅の維持が困難になったため,これを処分して昭和24年2月に時の首相吉田茂・幣原喜重郎前首相などの尽力によって,温暖な当地の加納別邸に移り住むこととなった。

ベイテ博士は日本の総理大臣の3倍の俸給を受けていたが,終戦後は占領軍の干渉から制限を受けて非常に不如意な生活を送っていた。それでも,一宮町のいろいろな行事には進んで出席し,種々の寄付なども快く応じられていた。「米亭」と称して町民に溶け込もうと努力され,町民からも「ベイテさん」と呼ばれて親しまれていた。

昭和29年,博士のための「特別給与法」が国会を通過するや,ときの参議院議長佐藤尚武は議場から直ちに自動車をとばして博士に報告している。それから間もない同年2月2日朝,脳溢血で倒れ7日後の2月9日に逝去された。

葬儀は,外務省で行われ,青山墓地に葬られている。

 

上総一宮郷土史研究会福岡和子