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五・十市(下)

 

五・十市(下)

戦前,盛んだった一宮の五十市はどうなったか。

1日支事変(昭和12年)から太平洋戦争終結までの間に,次第に減衰して一時期消滅したものと思われる。

国は,召集令状で働き盛りの男を兵として召し上げ,次の働き手を徴用で軍需工場へ動員し,遂には12歳以上の独身女性まで挺身隊員として動員した。昼間町内にいるのは妻・子と老人だけと言う状況になった。国内すべて統制経済隣食料は配給,衣料は切符制になった。商店を通し通帳,切符で買う外なく,市場は売るものがなく自然消滅の状況だった。都市空爆,艦載機の来襲となれば危険この上ない状況で,「市」は立たない。

2戦後,数年間,米や生活物資の不足が続いた。

昭和23年商工会が設立されて「市」の管理をするようになった。売買の品も露店も少なく,客足は向かなかった。市場は桜馬場(4区)に固定された。客は必要な品がありそうな商店に行って買うか,注文するという方向になっていった。

一方では都市での食料需要に対応するため,しょい出し(行商)が盛んに行われた。総長の列車でしょい籠に農産物,海産物の加工品等をいっぱい持って,千葉東京方面に行って商いをして歩いた。

3昭和30年以降

(1)生産・販売方法の変化

○農産物等は農協でまとめて出荷。記入面での便宜もある。

○工場での電化製品,衣料雑貨等の大量生産と店舗販売の連携,品揃え等

(2)民需産業の活発化

○各分野での技術者の必要。

○勤め人の増大。

○運輸,道路の整備等

(3)車社会の出現

○昭和35年12月道路交通法の施行。第77条第1項第3号で露店,屋台店等は許可制になる。国道上では,危険防止のため許可にならない。

○現在(平成14年)玉前神社の境内で五十市が開かれているが実に微々たるものである。今後も国道128号線に戻ることはない。

郷土史研究会長谷川英美