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五・十市(上)

 

五・十市(上)

江戸に徳川幕府が開かれて間もなく,幕府の重臣大久保治右衛門が本納村へ御本陣を命ぜられたとき,当地方に物品の交流をする交易の場所が無く困っているのを聞き,慶長11年(1606年)に「交易場所設置に関する御定書」とも言うべきものにより,六斎市の定期市場を設定せしめた。

この定期市場は,一宮,茂原,本納,長南,大網の五カ村に対し,3月1日から開くことを命じ,村役人と相談の結果,5カ村の定期市場の開く日が重なることなく,かつ一年を通じ休む日も無いようにとの心づかいから,本納一六(いちろく),長南二七(にしち),大網三八(さんぱち),茂原四九(よんきゅう),一宮五十(ごとお)と定め,一宮はこれにより毎月5日,10日,15日,20日,25日,30日の6回開かれることになった。

「市」に運び込まれるものは,内湾の五井塩,九十九里浦の魚,海産物,在方からの農作物,雑貨などが主なものである。

自主的な市場の運営をするため「世話人」が市日毎に区割りされた市場に2人づつ置かれるようになった。

当時市場に運ばれる荷物のほとんどが馬の背に頼り,時の移りに従って荷車,大八車に積み込まれ,遠く茂原,長者あたりからはるばる徒歩でやってきて戸板の上に商品を並べ,日用品,生活物資を求めに来る人々を相手に取引がなされ,この市の露店から出発して大きな店舗を構えるまでに至った店も数多くあった。

平常の月は,市日毎に場所がかわり,川端から始まって三十日市は上宿となるように移動し,縄によって区域を定めたが出展の多い時にはどうしてもその縄の外,つまり区域外に露店を出さざるを得なくなる。

月遅れの盆市8月13日と暮れの市12月の市日には上宿(1区)から川端(6区)にいたる道路(現国道128号線)の両側の商店は,商品を路上に張り出した戸板に山と積み上げ,これに向かい合って出張してきた露店が軒を連ね,4列に並んだその数は,200近くにも及んだ。

「一宮町史」から抜粋。次号は,五十市が消えたわけ。


郷土史研究会長谷川英美