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町の成り立ちと社・寺参拝

 

町の成り立ちと社・寺参拝

一宮町の成り立ちは,大昔はともかくとして,平安期以降は,社・寺(玉前神社・観明寺)の門前町であり,徳川期以降はこれに城下町としての特色が加わり,明治時代には町としての体裁が整い,現在に至っている。

その間の産業は,農業・漁業であり産物そのものとその加工品の製造販売で五日十日市等による生活必需品等の売買の商業である。

明治7年,一宮町の人口は4,215人,戸数は845戸で,これは県内第7位の人口を有する邑だった。

住民は,その後も力を合わせて働き,よき指導者を得て各分野を発展させ,活力のある平和な生活を営んできた。

ただし,干ばつ,津波,洪水等の災害や病気等の心配は別である。五穀豊穣,国家安穏,家内安全,事業成就等を神仏に祈り,仕事に精を出し,無事であれば神仏に感謝する気持ちが自然に醸成され,折々に社・寺に参拝するのは当然である。これは信教の自由で保障されていることでもある。各人が社・寺に参拝されて願い(大・小の計画)の達成を祈願し,成就に感謝の気持ちを持つことは大切で,尊重されなければならない。

このような事情を踏まえて「ふるさと今昔」において,社・寺の由来,殿舎の構造,文化財等の説明・仏像や遺跡の調査結果の説明等をこの広報の一部に載せることが,これは宗教活動ではなく,歴史的事実や古文書,言い伝え等の説明であって特定の宗教をすすめる行為ではない。

一宮町の成り立ちから例えば,玉前神社と平廣常・加納久徴(ひさあきら)侯との関係とか,東漸寺と加納侯との関係とか,あるいは各社・寺の文化財とか,お祭とかについての記述は避けて通れないものがある。

社・寺参拝の折には,境内を回られて,案内書や文化財マップ,栞等を参考にされて,歴史的に価値あるものにできるだけ接するように心がけてくだされば幸いである。

郷土史研究会長谷川英美