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玉前神社と芭蕉と蜀山人

 

玉前神社と芭蕉と蜀山人

芭蕉と蜀山人の名を知る人は多いが,この二人と私たち一宮との縁を知る人は意外と少ない。

一つは芭蕉句碑,二つは蜀山人揮毫の神号額。ともに玉前神社にある。

句碑は,この地に蕉風俳諧を伝え広めた俳人起名庵金波が,芭蕉の偉業を称え,その得を奉賛せんと門人140余人の句を選び,明治初年に建立。碑表に芭蕉と金波や門人の句119句が収まる高さ幅ともに170センチの壮大な碑。書も,金波のものといわれいまも社殿に向かって左側の槙の木立の奥に人知れず静かにたたずんでいる。

蜀山人の書になる神号銅額は,境内正面の石鳥居に建立以来久しく掲げられおり,最近採った拓本に「文化十三子四月太田覃書」の刻文と「南畝」の印,当時の宮司家などの名が読まれた。

蜀山人といえば,狂歌師として著名だが名が覃,南畝は号で,蜀山人ほか四方赤良・寝惚先生・山手馬鹿人など20に余る号を持ち,特に儒学,狂歌,狂詩,狂文に長じたほか多方面にわたってその名を馳せた当代きっての文人。社前にぬかずいた蜀山人が厚遇を受けた斎藤吉左衛門方には自筆になる六曲屏風が大切に伝えられている。

江戸後期の文化文政期には,白砂青松の景勝と折から地曳網全盛期で浜大漁の好景気に賑わう九十九里浜沿岸に,江戸の著名な文人墨客が数多く訪れ,住民との交流を通じて多くの在地文化を育てた。今日ある姿に触れ,あらためて郷土の文化を見つめ直し,その意味を考えてみたい。

 

郷土史研究会金田昭