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新笈村一行18人お伊勢まいり膝栗毛2


新笈村一行18人お伊勢まいり膝栗毛2

6月17日に一宮を発った新笈村一行の旅は、まず、22日善光寺参詣。伊勢神宮は17日目の7月3日。いよいよ帰途につく。四日市からは、蒸気船で宮へ。名物の土産で増えた荷を肩に、東海道を知立、岡崎、袋井と進み、その昔は、「越すに越されぬ」といわれた大井川には既に橋が。蒲原の先から左へ富士宮、そして富士登山。六根精浄の道を二日かけて須走へ降り、御殿場から足柄峠を越え松田を経て大山に詣で、藤沢に泊まる。


人力車で江ノ島、鎌倉見物、鶴岡八幡宮参詣。


翌日横浜から品川まで鉄道(明治5年開業)で日本橋泊まり。船で行徳に渡り、7月19日浜野で昼食。(一行の『旅日記』は、ここで終わる。)一宮帰着は、翌20日か。松坂を7月5日に発ち15日目、実に34日ぶりの家族との対面。若者は、晴れて一人前の男となる。


「旅」は、本来骨折り、労働、苦痛の意(ラテン語の三本槍の責め具から)。日本人と「旅」もかつては律令制のもとでの調庸、雑徭(ぞうよう)、防人(さきもり)の旅。熊野詣、札所巡礼など庶民信仰の旅。獣や山賊、病害の危険も徐々に鎮まり、中世から近世、とくに江戸時代には五街道など道路や宿場の整備に生活水準の向上も手伝い、十辺舎一九の「東海道中膝栗毛」にみるように旅は、一層活発になる。安政3年、市原から伊勢、京、大阪、高野山、四国の金毘羅、帰路に善光寺を回って全行程80日を越える例。さらに、安芸の宮島、九州まで足を伸ばした例もある。

費用の工面は、主に「講」。その積み立てで田畑を買い、作徳米(年貢の残り)を費用に充てる例もある。事前の準備は、周到で、今でいうガイドブックの『道中記』、『用心帳』。衣類や旅具のほか、薬、洗面具、裁縫具、箸、楊枝、油紙、梅干、佃煮なども必携品であった。


郷土史研究会金田昭