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新笈村一行18人お伊勢まいり膝栗毛1


新笈村一行18人お伊勢まいり膝栗毛1

6月17日、新笈村(あらおいむら)(下村地区)一行18人の「お伊勢参り」出発の日。時は、明治13年、旅の身支度といえば、まだ手甲、脚半に草履ばき。その日は、長柄の六地蔵泊まり。翌日は、行徳。19日、蒸気船で日本橋に渡り、いよいよ中山道を長野の善光寺をめざす。熊谷、高崎辺りでは、馬車に乗り、善光寺詣では24日。その足で中山道を西に向かう。

峠を越え、川を渡り途中茶店で名物の団子やそばを味わいながらの旅だが、今のような舗装などない時代。時節柄雨にも暑さにも見舞われたに違いない。それでも見るもの聞くものすべて物珍しく、気心のしれた者同士。旅は楽しいものであった。今は昔で面倒な関所もない。田圃の草取りも終え一日を急ぐ旅でもない。

家族を思わないでもないが、きっと元気に過ごしていることだろうと先の道へ。

中仙道を途中「伊勢名古屋道」に折れ、一宮(名古屋)へ。一宮を出てもう15日が経つ。

翌7月1日、佐屋に回り、船で桑名へ。ここは名物焼き蛤で知られる所。四日市から松坂、となれば、もう伊勢神宮は近い。途中追分からは大阪方面、奈良・高野山方面に道が分かれる。五十鈴川を渡るとさすが伊勢神宮は、静寂で荘厳。宿屋や茶屋が立ち並ぶ古市辺りとは別世界。心を清めて内宮、外宮に参拝。江戸時代、お陰参りなどといって全国各地から多い年にはこの時期の2ヶ月間で350万人を越える参詣人で賑わったときく。

平素自由なたびを許されなかった庶民にとて、お伊勢参りは、参詣の形を借りた観光の旅でもあった。富士、大山、出羽三山などもその類で、自由な旅行を楽しめる現在でもその習俗は受け継がれている。

次回は、帰路。東海道を途中、富士登山のコースを辿る膝栗毛の巻。

※注新笈村明治23年一宮に合併

郷土史研究会金田昭