#

緊急・災害情報

現在、お知らせはありません。

>>緊急災害情報

東浪見に住んだ白鳥省吾


東浪見に住んだ白鳥省吾

白鳥省吾(本名しろとりせいご)1980(明治23)〜1973(昭和48)宮城県栗原郡築館町に生まれる。旧制中学生時代に文芸誌に投稿した詩が入選するなど,後年詩人として大成する片鱗を示している。早稲田大学英文科に学び,多くの詩人や作家の知己を得る。詩・翻訳・民謡・評論等幅広い文学活動を展開し,その情熱は死に至まで少しも衰えなかった。

太平洋戦争の激化に伴い,妻喜代の縁で,東京小石川から東浪見村遍照寺に,家族全員で疎開(昭和19年)以降昭和30年に千葉市小仲台町に転居するまで10年余を過ごした。遥に太平洋を望む高台の庫裡に住し,詩作しつつ境内の畑を耕作もしたようである。町に出ては句会に出席し,文学青年と語り合うなど,地域社会の文化活動に貢献している。当時の作に「睦月前庭の水仙/一輪の花よく太陽を支う/吾は聴く九十九里浜/和田津海の声いよいよ澄めるを」(詩集良い朝)がある。

著作は,詩集・評論集・随筆集・民謡集・童謡童話集など百冊近く,東浪見小学校・茂原高等学校をはじめ県内外の小・中・高百数十校の校歌を作詞している。また一宮音頭・藻原音頭・大原シャンソンなど,音頭や民謡も数多く手がけている。

青年時代から文章家として知られ,講演者としても人をひきつける魅力に溢れた話術の持ち主であった。また書もよくし,書家松井如流が「帝王の書」と評したほどである。(東浪見甚句記念碑は省吾の書である。)

「文学だけで社会性のないもの,芸術だけで人生のないもの,いわゆる芸術至上主義の詩は私は好みません。」と省吾はいう。そこには健康的な,生活と結びついた,近代の社会思想を基盤とする民衆詩人の姿がうかがえる。

上総一宮郷土史研究会福岡和子