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一宮ゆかりの人々その7−斎藤實−


一宮ゆかりの人々その7−斎藤實−

斎藤實は,今から140年前の安政5年10月に,旧仙台藩士斎藤耕平の長男とし,岩手県水沢町に生まれた。幼名を冨五郎といい,明治6年上京,海軍兵学寮に入学したが,当時の学寮は英語教育が中心で,非常に努力を要したという。實自身次のように言ったという。

『わしは決して偉い人間でも何でもないのだ。ただ,何事も一生懸命努力してやってきたつもりだ。そうしているうちに,いつか世間から次々とど偉いいすに押し上げられてしまっていたまでだ。』

と,いわれるように卒業してからはとんとん拍子で累進し,明治31年厳島艦長。同39年海軍大臣となり約10年間その重職を務め,海軍拡張に貢献した。

日露戦争の功により勲一等,功二級を,40年9月男爵を授けられる。大正元年大将,同8年朝鮮総督,同14年子爵,昭和2年枢密院顧問官,同4年再び挑戦総督となり『文明の政治』を行った。同7年5月首相となる。婦人,春子は仁礼景範中将の娘である。

一宮の別荘は,明治34年10月竣工したもので,駅から3キロほどの新地にあり,500坪の土地を坪10銭で手に入れ,建築費も坪20円であったという。子爵は大正3年海軍大臣を辞してから買い年大半を此処で過ごした。ここでの生活は庭いじりが主で,古洋服に草履をはき,手拭を腰にぶら下げて松の枝おろしや垣根直しをやった。一宮の署長が或る時この姿の子爵を見て,『爺やさん』と呼び,振り向いた顔を見て大慌てに慌てたと,春子婦人の話である。

子爵は,高野長英,後藤新平とともに岩手県が生んだ三大人物といわれたが,昭和11年2月26日,軍のクーデターで死去された。当時,上宿在住の豊川篤太郎氏婦人によれば,多数銃弾を受けていたという。

郷土史研究会古山修郎