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幕末の一宮藩主加納久徴(ひさあきら)侯


幕末の一宮藩主加納久徴(ひさあきら)侯

江戸幕府の終わり頃,一宮の藩主は,加納久徴(ひさあきら)侯であった。

天保13年(1842)襲封(しゅうほう)して翌年,玉前神社に萌黄縅胴丸(もえぎおどしどうまる)を寄進した。次の年に,洞庭湖の拡張工事を完成させた。湖畔に桜の樹を植えて遊覧の地とし,堤の傍らに記念の碑を建てた。同年高島秋帆の指導で大砲を鋳造し,一宮海岸に5か所砲台を築いた。大砲は火縄式で,口径6.5センチ。

嘉永6年(1853)に大番頭(配下84人)になり,嘉永5年8月大阪城警護のため,炮器(ほうき・大砲)を余力に守らせ,鉄砲20挺を同心に持たせ,他に弓,鎗刀(そうとう)でみをかためた。