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一宮ゆかりの人々その5−上田廣−


一宮ゆかりの人々その5−上田廣−

上田廣と一宮の関わりの中で最たるものは,「一宮町史」の編纂委員長の仕事と言えましょう。当時一宮に居住(現在その家はない)し作家活動を通して,後進の指導育成に当たっていた上田廣は,一宮町史が編まれることとなり,その編纂委員長に就任しました。一宮町史は,町史という性格からは異例ともいえるほど短い編纂期間で発行されましたので,委員長としての苦労は,並大抵のことではなかったと考えられます。

上田廣のプロフィールを少し記してみます。本名濱田昇(はまだのぼる1905〜1966)長生郡豊栄村(現長南町)に生まれ,幼時に父母とともに千葉市に移住する。大正9年鉄道省就職し,傍ら神田英語学校・研数学館等に学び,鉄道省教習所機械科を卒業する。大正14年ごろ坪田譲治らを中心とする「創作朗読会」に入会して文学修行に励む。昭和4年同人雑誌「鍛冶湯」を創刊し,千葉在住の同人を主体に創作朗読会を作る。昭和6年吉田さわと結婚。

昭和9年「文学建設者」の同人となり筆名を上田廣と決める。昭和12年保高徳蔵編集の「文芸首都」の同人に推される。日華事変勃発と同時に応召し北支を転戦する陣中で執筆した「黄塵」を文芸首都に,「鮑慶郷」を中央公論に発表して一躍文名を高め,火野葦平・日比野士郎とともに「兵隊作家」と称された。昭和14年日本に帰還し,国鉄に復帰するが,昭和16年国鉄を退職して作家生活に入り,各誌に作品を発表する。昭和39年日本国有鉄道本社総裁室修史課嘱託となり,「鉄道百年史」の編纂に当たる。昭和41年2月27日茂原市で逝去。

昭和56年国民宿舎一宮荘前庭に,上田廣文学碑「黄塵碑」が建立された。


上総一宮郷土史研究会福岡和子