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一宮町の歴史

一宮町の歴史

一宮町ってどんなところ?大昔から現在までいろいろな出来事がありました。その中でよく知られているものから町の歴史を紹介します。

「一宮貝塚」・・・海はもっと広かった。

貝塚を見ると大昔の人たちの暮らしが見えてきます。一宮貝塚(現在の一宮中学校付近)は発掘調査でハマグリやアワビ、サザエ、ウミガメやクジラ、サメの骨などが発見され、縄文時代には海が貝塚の近くまで入り込んでいたことがわかります。

「横穴群」・・・お墓は古墳だけじゃなかった。

横穴墓は崖に掘った穴の奥に棺を納めたお墓のこと。房総半島では6世紀後半~7世紀頃から古墳に代わって使われ始め、一宮町では細田横穴群や柚ノ木横穴群など一宮川流域に計9ヶ所の横穴群が確認されています。特徴は入口と奥の部屋に1~3m程落差のある「高壇式(たかだんしき)」という形で、横穴の分布の中でも珍しいといわれています。

「一宮庄(荘)」・・・一宮の由来。

町の名前はいつ頃から使われているのでしょうか。玉前神社の神領をもとに成立した荘園は鎌倉時代から「玉前庄(荘)」とよばれ、現在の一宮町、睦沢町、長生村、岬町のほぼ全域にわたって治められていました。玉前神社が上総国の一宮だったため「一宮庄(荘)」の名前が広まり、現在まで「一宮」の名称が使われています。

「一宮城」・・・城下町のはじまり。

一宮城は標高約30mの台地を利用した山城で、16世紀頃造られたといわれています。周辺には守護神として寺院や神社が配置され、今も「城山(しろやま)」「城之内(じょうのうち)」「追手(おって)」「院内(いんない)」「陣屋(じんや)」「櫓前(やぐらまえ)」など、城に関する地名が残っています。

「加納藩」・・・町づくりの基礎ができた。

加納久通が一宮藩主になったのは享保11年(1726)。以後、最後の藩主久宜(後の一宮町長)の時代まで加納氏は代々一宮の発展のために様々な事業を行ないました。
9代久通・旱害対策のため洞庭湖の整備
13代久儔・陣屋の建設
14代久徴・洞庭湖の拡張、海防のため一宮海岸に砲台を設置
16代久宜・耕地整理、青年会・婦人会の設立、「おだがけ」の推進、一宮女学校の設立、別荘地の開発、海水浴場の整備

「別荘地」・・・東の大磯だった。

明治時代から鉄道が通り、海水浴場が整備され、過ごしやすい気候が好まれて、一宮川沿いや海岸には明治~昭和初期にかけて100軒近くの別荘が建っていました。当時の町長加納久宜の熱心なはたらきかけによって著明な政治家や軍人、実業家、学者、芸術家などが訪れ、「東の大磯」として賑わいましたが、第二次世界大戦が激しくなり始めた頃からさびれていきました。

「風船爆弾」・・・風船が太平洋を越えた。

第二次世界大戦中、福島県の勿来、茨城県の大津と共に一宮海岸は風船爆弾の基地に選ばれました。一宮駅から海岸まで鉄道が敷かれ、江戸末期に造られた台場跡付近に打ち上げ基地が設置されました。一宮から打ち上げた風船爆弾のいくつかは太平洋を越えてアメリカまで届いていました。

「合併」・・・町の前にはたくさんの村があった。

今の一宮町になるまでには何回も合併が繰り返されました。今でもその名残で地域のお祭の時などは、昔の村ごとに集まることがあります。
廃藩置県により明治4年(1871)7月14日~11月13日まで、旧一宮藩が一宮県となる。
(明治4年11月14日、木更津県に統合、以後長柄郡一宮本郷村となる)

明治14年(1881) 12月28日 一宮本郷村と新笈村が合併、一宮本郷村となる。
明治21年(1888) 10月10日 東浪見村と綱田村が合併、東浪見村となる。
明治23年(1890) 10月27日 一宮本郷村が一宮町に改称。
昭和28年(1953) 11月 3日 一宮町と東浪見村が合併。
昭和29年(1954)  4月 1日 長生村船頭給区が一宮町へ編入。
昭和30年(1955)  4月 1日 長生村新地区が一宮町へ編入。
昭和30年(1955)  9月30日 長生村宮原区が一宮町へ編入。
現在の一宮町となる。

一宮町の歴史年表

時代年号西暦できごと関係する
指定文化財
古墳時代     待山遺跡(七ツ塚古墳)、横穴群が造られる  
飛鳥時代 白鳳年間 672~685 南宮神社を勧請  
奈良時代 養老2年 718 上総国四郡を分割して安房の国を造る  
天平6年 734 玉崎山観明寺が開山  
平安時代 大同2年 806 十二社祭始まる 「十二社祭」・町指定文化財
大同年間 806~809 軍荼利山東浪見寺が開山 「木造軍荼利明王像」・県指定文化財
嘉祥3年 850 医王山東福寺が開山 「紙本着色俵薬師縁起絵」・町指定文化財
仁寿2年 852 光明寺遍照寺が開山  
鎌倉時代 寿永元年 1182 平広常が源頼朝の武運長久を祈願し玉前神社に鎧を奉納 「梅樹双雀鏡」・国重要文化財
建久6年 1195 悪七兵衛藤原景清、鎌倉で牢死  
室町時代 文亀3年 1503 正立寺玉蔵寺が開山  
天文3年 1534 万木城主高木乗員が狩野守景に釈迦涅槃図を描かせ寄進する 「釈迦涅槃図」・町指定文化財
永禄5年 1562 一宮城落城、玉前神社も類焼 「一宮城址」・町指定文化財
永禄7年 1564 里見義弘が北条氏政に敗れ、正木左近太夫時忠に攻められる 「正木時通制札」・町指定文化財
安土桃山時代 天正9年 1581 信州諏訪から新地地区へ諏訪神社を勧請 「諏訪神社の紙細工」・町指定文化財
天正10年 1582 里見義頼が玉前神社に宮地を寄進 「里見義頼寄進状」・町指定文化財
天正13年 1585 東浪見と中原(現・岬町)で境界争いが起こる 「東浪見・中原境界の裁許状」・町指定文化財
天正18年 1590 本多忠勝48ケ城を攻撃、一宮城落城 「豊臣秀吉禁制」・町指定文化財
慶長6年 1601 慶長の大地震 大津波  
    本多忠勝が領内を検地を行い、塩年貢を割付ける 「岩沼高浜方塩浜置場帳写」・町指定文化財
江戸時代 慶長17年 1612 三島山東漸寺が開山  
明暦3年 1657 脇坂淡路守が一宮城跡に陣屋設置  
寛文12年 1672 一宮本郷村、新笈村が堀外記の領地となる 「観明寺四脚門」・町指定文化財
延宝5年 1677 延宝の大津波、大地震 「延宝の津波供養塔」・町指定文化財
貞享4年 1687 玉前神社(現在の社殿)が造営される 「玉前神社社殿・棟札」・県指定文化財
元禄16年 1703 元禄の大地震 大津波  
享保元年 1716 玉前神社に神楽殿が造営され、神楽を奉納する 「玉前神社神楽」・県指定文化財
享保3年 1718 観明寺の本堂が建設される(現本堂は昭和43年・1968のもの) 「地獄極楽欄間」・町指定文化財
享保11年 1726 9代加納久通が上総国長柄郡に8000石を与えられる  
元文元年 1736 龍角山実本寺開山  
元文3年 1738 船頭給獅子舞が祈祷神楽として演じられる 「船頭給獅子舞」・町指定文化財
安永8年 1779 観明寺境内の水屋が建立される 「水屋」・町指定文化財
寛政3年 1791 上総とんびの製作が始まる 「上総とんび」・町指定文化財
寛政8年 1796 11代加納久周が寛政年間に貯水池として洞庭湖の造成を着工  
文政8年 1825 13代加納久慎が海岸に武士溜陣屋を設置し、用兵訓練を行う  
天保14年 1843 14代加納久徴が玉前神社に鎧を寄進 「萌黄縅胴丸」・町指定文化財
    海岸に砲台を設置する 「加納藩台場跡」・町指定文化財
天保15年 1844 加納久徴が洞庭湖の完成記念に記念碑を建立し、湖岸に桜を植樹する 「洞庭湖記念碑」・町指定文化財
文久元年 1861 加納久徴が若年寄になる 「皇女和宮の駕籠」・町指定文化財
文久2年 1862 加納久徴が高藤山に平広常を偲び古蹟の碑を建立する 「高藤山城址と古蹟の碑」・町指定文化財
完治元年 1864 15代加納久恒が真忠組討伐に出動  
明治時代 明治元年 1868 玉前神社境内に芭蕉句碑が建立される 「芭蕉句碑」・町指定文化財
明治2年 1869 16代加納久宜が版籍奉還、一宮藩知事となる  
    学問所を開設し「崇文館」と名づける  
明治4年 1871 廃藩置県により一宮藩消滅、玉前神社国幣中社となる  
明治6年 1873 一宮郵便局開設、小学校(西、東、東浪見大村、綱田)設立  
明治12年 1879 戸長役場を観明寺に設置  
明治21年 1888 東浪見村と綱田村が合併し東浪見村となる  
明治23年 1890 一宮本郷村と新笈村が合併し一宮町となる(町制施行)  
明治30年 1897 長柄郡と上埴生郡を合併し長生郡となる、一宮区裁判所を設置  
明治26年 1893 綱田区で梨栽培が始まる  
明治27年 1894 一宮消防組設立  
明治30年 1897 大網-一宮間鉄道開通、一宮駅開業、第九十八国立銀行一宮支店開店(現千葉銀行)  
明治40年 1907 一宮町信用組合(農業協同組合の前身)を設立  
明治41年 1908 耕地整理開始、一宮町青年会発足  
明治43年 1910 一宮町婦人会発足  
明治44年 1911 この時期に一宮海水浴場設置  
明治45年 1912 16代加納久宜が一宮町長に就任(~大正8年・1919)  
大正時代 大正2年 1913 一宮女学校設立  
大正3年 1914 芥川龍之介来訪(1回目)  
大正5年 1916 宮原の大水害、芥川龍之介来訪(2回目)

「芥川荘」・国登録文化財、「北沢楽天の絵馬」・町指定文化財

大正6年 1917 一宮公会堂開設  
大正7年 1918 加納久宜町長の業績を称え、顕彰碑が建立される 「加納公紀徳の碑」「加納久宜公の墓」・町指定文化財
大正14年 1925 東浪見駅開業  
昭和時代 昭和12年 1937 貝殻塚貝塚の発掘調査が行われる 「貝殻塚貝塚」・町指定文化財
昭和14年 1939 潮止堰が完成  
昭和18年 1943 風船爆弾打ち上げ(~19年)  
昭和22年 1947 千葉地方検察庁一宮支部発足  
昭和28年 1953 東浪見村と一宮町が合併し一宮町となる  
昭和29年 1954 船頭給区が一松村から分村編入  
昭和30年 1955 新地区が一松村、宮原区が八積村から分村編入  
昭和33年 1958 東浪見中学校と一宮中学校が統合  
昭和38年 1963 一宮町史編纂開始(翌年刊行)  
昭和39年 1964 田町が町名になる  
昭和42年 1967 一宮役場庁舎竣工、現在地へ移転  
昭和47年 1972 一宮町中央公民館竣工、外房線電化工事完成  
昭和50年 1975 白山が町名になる  
昭和52年 1977 町営野球場完成、上総おどり開始  
昭和54年 1979 省エネルギー温室団地完成、東浪見海水浴場新設、憩いの森完成  
昭和55年 1980 国鉄(現JR)横須賀線(一宮~横須賀)直通運転開始  
昭和56年 1981 テニスコート完成(現在の臨海運動公園)  
昭和57年 1982 山梨県一宮町と友好町締結  
昭和58年 1983 城之内遺跡(一宮城)発掘、振武館完成 「一宮城出土遺物」・町指定文化財
昭和61年 1986 GSSセンター完成  
昭和62年 1987 千葉県東方沖地震が発生  


時代

平成元年 1989 町の花「山ゆり」選定  
平成2年 1990 JR京葉線全線開通  
平成5年 1993 町の図書室を商工会館3階に開設  
平成8年 1996 第1回上総国一宮まつり開催  
平成12年 2000 保健センター完成  
平成15年 2003 長生郡市合併協議会設置  
平成16年 2004 創作の里完成、東浪見コミュニティセンター完成、長生郡市合併協議会廃止  
平成17年 2005 17区を新設  
平成19年 2007 長生郡市合併協議会設置(再)  
平成20年 2008 長生郡市合併協議会(再)廃止  
平成23年 2011 東日本大震災発生(津波による床上浸水30戸、床下浸水28戸)  
平成24年 2012 東野が町名になる  
参考資料
『一宮町史』(一宮町発行、昭和39年・1964)
『ふるさと』(上総一宮郷土史研究会発行、昭和56年・1981)
『曙光』(百周年記念誌編さん委員会発行、平成2年・1990)
『一宮町の文化財』(一宮町教育委員会社会教育課発行、平成11年・1999)