町長日記2018年1月30日(中学校で「町長と語る会」を開催)

 今日は、午後一宮中学へ出向いて、「町長と語る会」を開催しました。わたくしがお話しするのは、政治についてです。日本では、学校教育では、ほとんど政治について学びません。諸外国では、かなり学ぶところもあるようですが、日本では薄弱です。現在、選挙権は18歳まで引き下げられましたが、主権者として投票に参加する前提である、政治への主体的な参加意識の涵養は不十分であり、各自の個人的な努力にまかされているといってよいでしょう。

 わたくしとしては、それは甚だ心もとない状態だと思いますので、以下のことを中学生諸君にお話して、理解を求めたいのです。

 まず、政治は、誰もが関係していること、巻き込まれていること。従って、政治は誰にとっても身近で、生活の質に直接間接に関わるものであること、これを理解してほしいのです。そして、利害関係者として、政治に正面から向きあい、しっかりと考えて自らの対応を定めてほしいということです。主権者として、自信・自覚をもって、政治に関与してほしいのです。その中で、選挙権の行使たる投票行動も決めてほしいし、被選挙権の行使も考えてほしいわけです。

 次には、政治を考えるには、事柄の因果連鎖で考えてほしい、ということです。政治的決定と言うものは、因果的連鎖の認識をベースに行われるべきものです。こういう目的がほしい。そのためには、こうした手段を使うのがよいのではないか。現在の自分たちのもてる力はどうか。こうした各種の要素のなかで、こうしたらこうなる、こうなったらこうなる、と問題を因果で考えて、目標の成果に到達するもっともよい道を選ぶことが必要だというのです。それは、どの要素を重視するかで変わってくるわけですが、それぞれの立場で、因果関係の連鎖をよく考えて政治的判断をしなくてはなりません。

 もちろん、そのとき、出来る出来ない、という可能不可能の問題も関わってきます。これも考える必要があります。

 また、政治的な事柄の評価は、時間的な流れのなかで変化することがあります。5年後に有効な政策、10年後に有効な政策、30年後に有効と評価される政策、かなりの変化がありえます。たとえば、明治維新に対する評価などは、時代によってかなり変化してきている事象だといってよいと思います。そのなかで、なるべく長いスパンで有効でありうる政治的決定を展望できるように努力すべきだということ、これも理解して頂きたいことでした。

 そのほかに、公平性・公正性を確保することの必要性の問題などもわかってほしいトピックですが、今回は上に記した三つの観点でお話ししました。公平性・公正性などは、またの機会にお話ししたいと思います。

 注意すべきは、特定の政治的主張に肩入れするようなお話しは全くしないということです。それは政治的プロパガンダとなってしまい、政治とは何かを学ぶ、主権者教育ではなくなってしまいます。そんなことを首長が行ってはいけません。それは微塵も行っていません。

 実際にわたくしの話を聞いても、直ちに全員がわかるわけではないだろうと思います。釈迦は「一音説法いっとんせっぽう」といって、ひとつのことばで話しつつ、聴衆すべてが自らに即して話してくれているように聞かせることができる、と中国仏教ではいいます。実際には不可能事ですが、釈迦の超人ぶりを示す言葉として語られたものです。ここからは、むしろ現実には、すべての人がわかるように話すなど不可能事であることがかえってはっきりと示されています。そういうことからすれば、わたくしの話がよくわからなかった諸君もあったことは致し方ないことだと思います。

 しかし、玄奘唯識学派でいうところの熏習ではないですが、聞いたことは、確実に種子となって心に残ります。今後、中学でたとえばわたくしが毎学期お話したとして、9回の聞く機会があるわけですから、いつか種子は増益して芽吹くことがあるかもしれません。それはおとなになってからかもしれませんが、いつか芽吹けばよいわけです。

 当日は、2年生のインフルエンザの罹患者が多いということで、受験を控えている3年生は参加されませんでした。3年生は成熟度からいえば、もっとも理解する可能性が高い諸君ですから、不参加は残念でしたが、時期的には欠席はいたし方ないことでした。