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町長日記 6月7日(オリンピック組織委員会の森喜郎会長と、森田健作千葉県知事が、サーフィン会場の一宮釣ヶ崎海岸を視察)

   今日は、オリンピック組織委員会の森喜郎会長と、森田健作千葉県知事が、サーフィン会場の一宮釣ヶ崎海岸の視察に見えました。太田洋いすみ市長と、わたくしでお迎えを致しました。

 まず、お二人は町役場に見えて、全体で顔合わせを致しました。森会長と森田知事は旧知の仲でいらっしゃるということで、話がはずんでいました。意見交換のあと、県の担当者が、マスコミに退出を要請したところ、森会長は「べつに出てゆかなくてよいよ」と仰って、マスコミ取材を続けるように指示をされました。これは、その後数時間ご一緒する中で、森会長の一貫したスタイルであって、人の作ったお膳立てを嫌われ、自然体で進まれるというモットーの表れとわたくしは理解しました。

 釣ヶ崎に視察のためにでかけましたが、鵜沢清永議員とNSA千葉東支部長の大海さんがギャラリーとして見えておられ、森会長はすぐに見つけられて、「やあ」ということで、お話を始められました。実は、玉川町長が一宮釣ヶ崎への誘致活動ということで、森会長のところにお願いに上がったとき、おふたりも同行しておられたとのことです。森会長は、すぐにお二人を見出されて、話を始められたのです。このときも、実は千葉県の仕切りのプランがあったのですが、森会長はそれにはとらわれず、ご自身のお気持ちのままに進まれ、海岸にいたサ-ファーたちとも率直に話を交わされました。大原洋人さんもちょうどお宅におられたということでかけつけてきて、輪に加わりました。この一連の流れは千葉県の方で用意したプランとは異なってしまいましたが、森会長が海から上がってきたサーファーとお話されている姿などは、新聞取材的にはかえって絵になったのではないかと思います。

 海岸の鳥居のところで集合写真をとって、それから役場に引き上げました。役場につくと、森会長は予定されていた記者会見をキャンセルされ、昼食会の会場の「ともえ」さんに直接向かわれました。そこで、役場では、森田知事・太田市長・わたくしの三人で記者会見を致しました。それから、「ともえ」にいってみると、意外な展開に驚かされました。実は、森会長は、座敷での食事は足元がご不自由だということで、用意したお席について少々ご不興でいらっしゃったのだそうです。そこを、先にともえに到着していた吉野繁徳議長が、色々とお話し下さって、ご機嫌を直して頂けた、とのことでありました。食事は、吉野議長のご尽力で和気藹々な進行となり、森会長も「ともえ」の皆さまと記念写真をおとりになるなど、上機嫌でお帰りになられました。

 全体として、森会長の豊かな個性に強烈な印象をいただいた数時間となりました。森田知事はいつもはつらつとしてお元気ですが、森会長とご一緒のときは、やや控えておられるように拝見いたしました。先輩を立てるというご配慮のようです。

 おふたりからは、釣ヶ崎はよいところだ、とのお墨付きを改めて頂きました。今回のご訪問がきっかけになって、準備がさらに順調に進むことを祈ります。

 以下に、用意していた一宮町紹介の一文を挙げておきます。結局用いませんでしたが、記念として残しておきたいと思います。

 

【一宮町について】 一宮町は面積23平方キロ、人口1万2千人、九十九里浜南端に位置する町です。町の中央に玉前神社が鎮座し、江戸時代から地域の経済・文化の中心地でした。地引網の隆盛・加納藩の統治・別荘地としての繁栄・施設園芸のトマトの産地としての発展といった、地域をリードするポジションを常に占めていました。現在は、サーフィンの適地としてサーファーが多く来訪する町となっています。

 東京まで外房線で1時間から1時間半で行けます。交通が便利で、海も山も川も農地も歴史もある魅力的な土地柄ということで、移住者が一定数あり、人口は横ばい状態にあります。これは外房地域では例外的なことです。現在は移住者の比率は6割を越えつつあるといわれています。

 町は外房線・国道128号線によって東西に分けられ、東は平坦な地形が海まで広がっています。主に農地と住宅が展開しています。西側は里山と谷戸が展開しています。玉前神社中心に、国道沿いに藏作りなどの伝統的風格をもった市街が集積しており、海岸の県道沿いにはサーフショップやレストランなど海外を思わせるモダンな商店が連なっています。こうした対照的なものが、近いところに集まっているのがこの町の特色です。

 【釣ヶ崎について】 釣ヶ崎は、一宮町南端、いすみ市との交界に位置する海岸の名称です。ここには玉前神社の鳥居が立っています。玉前神社の祭神・玉依姫が上陸したところと伝えられ、海中から宝珠が出現した場所ともいわれています。海幸彦・山幸彦の伝説もあり、釣ヶ崎の名は、海幸彦が釣をした場所ということからくるものだそうです。9月13日の十二社祭の際、玉前神社を中心に、玉依姫の一族を祭る近在の神社の神輿が集結して、海に入って鳥居をくぐり、帰還するという儀礼を行う祭典場となっています。

 ここが同時に、年間を通じて波がよく、サーフィンの上級者向けの場所として知られています。ここでは各種の世界レベルのサーフィン大会も開かれています。かつて海岸に志田さんという方が経営する海の家があったことから、サーファーの間では、「志田下」(志田さんの店の前の海)と呼ばれることがあります。

 【サーフィンの盛り上がり状況】 地元では、もともとサーフィンと関係なく、子供が波に乗って遊ぶ「せのし」というものが行われていたそうです。1970年代から徐々にサーフィン文化が伝わり、サーフィンを念頭においての来訪者・移住者も増えてきました。現在、概数で言えば、町民1万2000人のうち、2000人ほどの方がサーフィンとつながりがあるのではないかと思います。

 地元に住むサーファーの家庭では、子供さんがサーフィンに親しむことも多く、中学あたりから本格的なサーファーを目指す方もいます。今話題の大原洋人さん、稲葉玲王さんなどはそこから一流選手となった方です。またサーフィンを目的に一宮町に移住する方もいます。中塩佳那さん、川合美乃里さんはそうした方で、現在活躍中の方です。

 ただ、従来はサーフィンの大会があっても観衆は少なかったです。昨年のQS6000というハイクラスの大会も、ギャラリー数は海外に比べれば本当に少なかったです。ある一瞬、同時に海岸にいた人数は、わたくしがみたところでは、350を超えないレベルでした。

しかし、今年の5月下旬に行われたQS6000の大会には、その何倍にも上る、大勢の観客が見えました。昨年末に、2020年東京オリンピックのサーフィン競技会場に指名されたことが、人びとの関心を高めたのだと思います。そういう意味では、確実にオリンピックに向けて機運は高まってきていることを感じます。

 しかし、課題もあります。かつて、サーファーは素行がよくない、田畑にごみを捨てるだけの連中だ、という印象が町中に広くゆきわたっていました。現在は、住民として地元に生活するサーファーの方々が、地元のネットワークに積極的に参加するようになり、そうした印象は大分薄くなりました。ただ、ビジターの中には素行のよくない人びともあり、違法駐車を含めて、今後更に解決を図らなくてはならない課題です。

 また、サーファーの年齢が上昇し、20代以下が少ないというのも、あまり知られていない、しかし深刻な問題です。スキー・野球・テニスなどと同様、若い愛好者は減少しているのだそうです。

 今後、一宮町としては、スポーツとしてのサーフィンというコンセプトを中心に、サーフィンのイメージアップを図ってゆきたいと考えています。そして、子供さんがたのサーフィンへの誘導も意識的に行ってゆきたいと思っています。その際は、地元在住、地元出身のサーフィン関係者の皆さんのお力をお借りしたいと思っています。