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町長日記2018年10月23日・24日(千葉県町村会の現地視察に参加)

   千葉県町村会の現地視察の企画に参加し、熊本県で2016年に起こった地震のあとの状況を見学いたしました。

 一日目は、熊本空港へ到着すると、大きな被害が全国的にも報道された益城町で、仮設住宅を拝見し、また地震で土地に亀裂が入り、水平方向のずれを生じた箇所を拝見しました。

 仮設住宅は、もともと県のほうでテクノポリスを作ろうとして造成してあった土地へ516世帯分設営したということですが、近所に買い物の場所などなく、当初不評で、130戸もの辞退があったそうです。最終的には行政の要請もありイオンが出店してくれて、買い物の不便は解消されたそうです。また、市街地まで遠いので、バスの便の確保も行政が担うべき課題であったそうです。

 説明を賜った現地スタッフの方のお話では、仮設住宅は断熱がよろしくなく、思ったより寒い、という苦情があるとのことでした。ただ、往来でくつろいでおられた入居者の方に聞いてみると、4畳半の部屋がふたつで、両親と娘3人で暮らしていると手狭だが、他には問題ない、とのことでした。

 現在は、入居しているのは半分ほどで、残っている方々は高齢者が多く、次への展開を確保するのが困難で、長い仮設住宅生活となっているそうです。確かに、ここでは家賃や光熱費などもかからないのですが、外へ出れば、それも自前になるので、ここにとどまりたいというのもわかります。しかし、それでは自治体は持ち出しを続けなくてはならず、それも困ります。わたくしどものところで天災が起きても同じ展開になるであろうことを感じさせてくれる状況でした。

    水平に土地がずれたところは、基盤整備をした水田で、あぜがクランク型に曲がっていました。ずれた跡を人為的につなげたので、クランク型になっているのですが、最初からそう作ったような感じになっており、ぱっと見では、地震によるものだという感触はありませんでした。ただ、基盤整備をした農地にクランク状のあぜがあるわけはありませんし、あぜを一本一本確認してゆくと、先へ進むにつれて次第にクランク幅が狭くなってゆくので、なるほど、地震でおこったものであったか、と納得しました。

 全体に、益城町は地震で大きな被害があったようですが、現在は修理が済んだ住宅、或いは新しく建築中の住宅が多く、被災の悲惨さを感じさせるものは少なくなっていました。それは、益城町から熊本市内へ移動する際にも感じたことです。大変な建築ラッシュです。これは、復興景気といったものでしょう。数軒に一軒の割合で家が建築中です。戦後日本の経済建設の成果を実感するとともに、天災により街づくりが進むなど、皮肉な展開の存在を改めて認識した見学でした。

 その後、熊本城を見学に行きました。雨が降ってきて、かさをさしての見学になりました。新聞などで天守閣の復興が大分進んでいると報道されています。確かにそれはそうなのですが、実はその他の部分はこれからということでした。

 というのは、天守閣はコンクリート製のもので、史跡としての価値がありません。そこで、基礎の杭さえしっかりしていれば、直ちに再建工事ができるのだそうです。しかし、それ以外の部分は、特別史跡であって、勝手に修復することはできません。たとえば石垣の石ひとつひとつも、崩れてしまったものを回収して、もとの写真にしたがって、元来の姿に戻してゆかなければならず、大変な作業になるということでした。木造建造物で、被害がなく見えるものも、石垣に損傷があるものが多く、それらは、建物を各パーツに分けて解体して別のところに格納し、石垣をもとのとおりに完璧に修復したのち、その上に改めて建物を組み立てるのだそうですから、軽く数十年はかかりそうな勢いです。お金はどうなるのですか、とたずねたところ、特別史跡であるので文化庁からと、熊本城は都市公園でもあるので国土交通省からも補助金が出るのだと、管理の方が教えてくださいました。いずれにしても、サグラダ・ファミリア教会の建設ではないですが、長い時間と膨大なお金がかかりそうです。

 城といえば、わたくしども一宮町の一宮城址は、中世の城郭の跡としてよく残っていたようですが、振武館を建設するに際して、発掘事業を行ったうえで、大分壊してしまったそうです。今から思えば、天守閣などがある近世城郭ではないので、見た目の美しさは望めないものの、中世の城郭としての形を守りつつ、史跡・公園に整備していった方が、よかったと思います。振武館は、別のところに建設すればよかったのに、と残念に思います。

 

 次の日は、嘉島町という町にお邪魔して、町の復興のありさまについて町長からお話を伺いました。

 嘉島町は熊本市の南に接する町で、面積は16.65平方キロ、人口はH27に9054人であったそうです。H22には8676人で、人口が増えており、その施策が注目されている町です。

 町長のお話では、加勢川という阿蘇水系の川が東から西に町の北側を流れており、これが数年に一度大規模な水害を町にもたらしていたそうです。水害常習地帯であったというわけです。なんと、加勢川には北の熊本市側にしか堤防がなかったのだそうです。そして、農業の町で、中心市街地もない嘉島町は諦めムードで、1983年に熊本市への合併を望みましたが、熊本市に拒否されたということです。

 そこで、1987年に町長として登板された荒木現町長(8期目)ですが、まず治水から始めるということで、ある国会議員の方とタッグを組んで陳情を繰り返し、10数年かかって、平成10年代(1999年から2008年)にようやく大規模な河川改修を国の事業として行うことを勝ち取られたそうです。これで水害問題が解決されることになりました。

  そして、熊本近郊で、車で30分という地の利を生かして、区画整理を行い、住宅地としての整備を進め、移住者の誘導を始めました。また、ここは阿蘇山系からの伏流水が清水としてわきだす、水に恵まれた町なので、工場立地などの誘導も行い、2003年にはサントリーの熊本工場の誘致に成功されるなど、産業・雇用の確保にも成功しつつあるわけです。また、九州自動車道が町の西部を縦断する形で建設され、インターが設置されていることも、町の利便性を大きく増しており、工場立地などの誘い水となっていると考えられます。そして、2005年には、熊本郊外の買い物拠点としてイオンモールが展開するなど、商業施設の立地も行われているそうです。

 こうした施策が成功して、いまでは自然が豊かで農地が展開する郊外都市として、熊本のベッドタウン的機能を果たし、人口は増加中ということです。現在土地区画整理も二つ進行中ということでありました。

   この町の状況は、現在の荒木町長が登板してから、大きく変わり、疲弊と衰弱の、何もない水害の町から、治水を契機として、大都市ベッドタウンとしての大きな発展を勝ち取ったわけです。すばらしい町づくりの成功例だと思います。

 荒木町長は、まちづくりは時間がかかる、首長任期の理想は3期というけれど、時には長期政権もよい結果をだすことにつながる、と仰っていました。そこで、うかがってみると、嘉島町では、最初から議会は全面協力で、野党というものはあったためしがない、とのことでした。首長としては、仕事のやりやすい、うらやましい状況です。

 赫々たる治績を挙げつつある荒木町長と嘉島町ですが、わたくしの目からみると、ひとつ課題があると感じました。それは、今後、いわゆる郊外型衛星都市として嘉島町が発展してゆくとして、その際の地域アイデンティティーをどう形成してゆくのか、ということです。現在、水の郷、湧水の町としてアピールしておられますが、それにどれだけの住民結集力が期待されるかは、まだこれからの課題というべきでしょう。横浜や川崎の郊外に住んだことの長いわたくしにとっては、こうした郊外地区は、概して地域アイデンティティーが希薄になり、無機質になる傾向があります。それを統合して強い地域結集力を形成できるかいなかは、今後の嘉島町がさらに魅力ある町になってゆくためには、大きな課題となろうかと思います。

    二日にわたっての熊本視察は、大変実りの多いものでありました。ここから得たものを、わたくしども一宮町での施策に生かしてゆきたいと思います。