町長日記2020年1月6日(新春賀詞交歓会を開催)

   今日は、町の賀詞交歓会がありました。森英介衆議院議員、石井準一参議院議員を来賓にお迎えいたしまして、町議会議員の皆さまをはじめ、一宮町商工会の役員の皆さま、区長さん、各種団体の方々にお集まりいただき、新年のご挨拶をいたしました。盛会裏に終了して、ほっといたしました。ステージには、毎年、伊藤様のご丹誠になられた松の盆栽をお借りして飾らせて頂き、たいへんありがたく存じました。また、今年は、エッセイストの吉成庸子様から頂いた紅白梅の盆栽も満開になり、会場に文字通り、花を添えて頂きました。また各テーブルには、長谷川農園から購入したシクラメンを飾らせて頂きました。
 さて、賀詞交歓会という言葉ですが、わたくしは少々気になっている言葉です。前の世紀にはあまり聞かなかったことばですが、ここ10数年の間に、常用語となりました。その意味では、広く使われるようになったのが比較的新しい言葉であると思います。
 その中で、気になるというのは、賀詞と交歓のつながりの悪さです。賀詞というのは、ことほぐ言葉、という名詞です。それと組み合わせて熟語を作るなら、そこには緊密なつながりがなくてはなりません。たとえば、「美辞麗句」という熟語は、類似語を重ねたもの、「針小棒大」は反対語を重ねたもの、「情報戦略」は、上の名詞が下の名詞の修飾語となっています。
賀詞の後は、たとえば交換という他動詞ならば、「おめでとうのことほぎの言葉をかわしあう」、ということで、意味がうまくつながります。しかい、賀詞と交歓では、賀詞が名詞で、交歓は「こもごも喜び合う」という意味の副詞+自動詞で、うまくつながらないのです。「おめでとうのことば」と「こもごもよろこびあう」では、そのつながりは、「なんとなく近い雰囲気」でしかなく、熟語として成立するための緊密さがないのです。この不整合感は、語感に気を付ける習慣をもつ方なら、すぐわかることです。
 賀詞+交歓会でも、事情は大差ありません。この組み合わせでも、「賀詞」と「交歓会」の間に、緊密なつながりがありません。こうした組み合わせは、通常は熟語として認められません。これは、日本語の構成についての感覚が鈍ってきたためにおこった現象かも知れません。わたくしとしては、一般にこの不自然な用語が幅広く使われているのが居心地がよくないです。ことばの作りとしては、「賀詞交換会」が正しいと思います。
 なお、ネット上には、この用語をめぐる議論が上がっており、わたくしと同じように考える方もおられます。皆様にご覧いただくのも一興かと存じます。